小茂田青樹(おもだ せいじゅ 1891-1933)
「八重椿」 29.0×23.8㎝
略歴
1891年 埼玉県川越市に呉服商の小島徳右衛門の次男として生まれる。
1896年 叔父の養子となり小茂田姓になる。
1908年 画家を志し上京。松本楓湖の安雅堂画塾に速水御舟と同日に入門。
1913年 巽画会に出品した2点とも原三渓の買い上げとなり、以後支援を受ける。
1914年 紫紅の赤曜会に御舟らと参加。
1915年 第5回再興院展で初入選。
1921年 初個展開催。院展に推挙される。(30歳)
1924年 結婚。
1929年 帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)教授に就任。
1931年 再興第18回院展に「虫魚画巻」を出品するが喉頭結核を患い制作を断念。
1933年 逗子町にて逝去
新しい日本画-伝統と近代の融合-を追い求めた小茂田青樹。
横山大観の推薦により30歳で院展の同人になります。それからも暇さえあれば庭で写生を繰り返し、写実を追及しました。1929年には帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)の開校と同時に教授に就任します。第18回院展に出品された「虫魚画巻」は写実性と装飾性が見事に融合された代表作で静寂の中に妖しい魅力をたたえています。41歳という若さでこの世を去りますが、同時代の紫紅・御舟らと影響し合い、幻想的で叙情性豊かな独自の画風を築きました。
今作、八重椿も枝の描き方が秀逸で、しっとりと柔らかな空気をまとっているような温かみを感じます。