安田 靫彦(やすだゆきひこ 1884-1978年)
「柿と赤絵」
略歴
明治17年 東京・日本橋に生まれる。
明治31年 小堀鞆音に師事。日本画研究会の紫紅会を結成する。
明治34年 東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。
明治40年 岡倉天心らの国画玉成会の創立に参加。第1回文展で三等賞受賞。(23歳)
大正3年 日本美術院再興に同人として参加。
昭和10年 帝国美術院会員となる。(51歳)
昭和14年 法隆寺壁画保存調査委員となる。
昭和19年 東京美術学校教授に就任。
昭和21年 国宝保存会委員となる。日本美術展覧会の審査員となる。
昭和22年 正倉院評議委員会会員となる。東京国立博物館評議員会評議員となる。
昭和23年 文化勲章を受章(64歳)
昭和33年 日本美術院が財団法人に組織を改め、初代理事長に就任。
昭和40年 東京藝術大学名誉教授となる。
昭和53年 4月29日逝去。(享年94歳)
歴史画の大家として「黄瀬川陣」(1940〜41)、「王昭君」(1947)、「飛鳥の春の額田王」(1964)など、数々の名作を残していますが、同時にすぐれた静物画家でもありました。
理知的な構図と洗練された線による気品に満ちた作品を描き、「品位は芸術の生命」と作家は語っています。
本作品も赤絵の質感や透明感のある色彩が美しく、清雅で温かい空気をまとっています。