青木繁
略歴
1882年 福岡県久留米市に生まれる
1891年 久留米高等小学校に入学。同級生に坂本繁二郎がいた
1899年 洋画研究のため上京、画塾「不同舎」に入門
1900年 東京美術学校西洋画科に入学
1902年 坂本繁二郎らと妙義山や信州方面へ写生旅行に出かける
1903年 第8回白馬会展に出品した《神話画稿》は白馬会賞を受賞
1904年 福田たねらと房州布良に写生旅行に行く
第9回白馬会展に《海の幸》を出品
1905年 たねとの間に長男誕生
1907年 東京府勧業博覧会に《わだつみのいろこの宮》を出品。父死去
1911年 肺結核が悪化し福岡市の病院にて死去
青木繁「絵を画く男」 18.8×14.4㎝ 1902年 (「青木繁」河北倫明著 日本経済新聞社出版に掲載 No.74)
本作は1902年に青木繁・坂本繁二郎・丸野豊の三人で妙義山・信州へ写生の旅に出かけた時に描かれたものです。11月10日に出発し、約2ヶ月間、宿泊代を節約しながら続けた旅だったようです。
「〜略〜 この旅行はいかにも明治の画学生らしいよほど印象的なものであったようで、三人とも怪しげな洋服をつけ、ワットマン紙のカラーなどをくふうして歩いたものだが、歌や俳句も続々できたし、ことに絵の上では相当の収穫があった。〜略〜」
(「青木繁」河北倫明著 日本経済新聞社出版 より)
旅先の宿に丸山挽霞や島崎藤村らが訪れ歓談に耽るなど、芸術に心沸き立たせていた頃の青年画家・青木繁の貴重なスケッチです。
重量文化財となった代表作《海の幸》はこの2年後に描かれました。
本作の裏にもスケッチが描かれています。
どちらも見えるような額装となっております。