木村荘八(きむらしょうはち 1893-1958年)

「三番叟」 軸装 1958年

 

略歴

1893年 東京市日本橋区(現在の東日本橋)の牛肉店「いろは」の第八支店で生まれる

1910年 京華中学卒業、この後暁星中学仏語講座で仏語を学ぶ

1912年 葵橋洋画研究所に入り、岸田劉生らとヒューザン(後にフューザン)会を結成

1913年 フューザン会解散。「ボティチェリ」「エル・グレコ」など翻訳出版(20歳)

1914年 生活社を立ち上げる

1915年 草土社を結成する。「フアン・ゴッホの手紙」「未来派及立体派の芸術」など翻訳出版

1918年 第5回再興日本美術院展で樗牛賞を受賞(25歳)

1922年 春陽会結成に招かれ客員となる。草土社は第9回展を開いて解散

1928年 春陽会第5回展「パンの会」

1932年 春陽会第10回展「牛肉店帳場」

1937年 東京朝日新聞連載の永井荷風「墨東綺譚」に挿絵をかく

1946年 雑誌「苦楽」で「たけくらべ」「にごりえ」等を手掛ける

1958年 逝去。転移性脳腫瘍及び肺臓癌(享年65歳)

1959年 日本芸術院恩賜賞を受賞

505 木村荘八 三番叟 2

505 木村荘八 三番叟 全体

幼い頃から周囲の大人たちに毎晩のように寄席に連れて行かれていた木村荘八は中学4年の頃にはほとんど学校へ行かず芝居見物に熱中していたといいます。

兄の影響で文学・美術にも関心が高く、悩んだ末、画家になることを志します。その頃、岸田劉生と出会い、後期印象派やフォービズムなどを取り入れたフュウザン会や草土社を起こし、油彩画の発展に努めます。同時に19歳頃から評論・翻訳を手がけ、「ロダンの芸術観」「ヴァン・ゴォホの手紙」など多数刊行しました。朝日新聞連載の永井荷風「濹東綺譚」の挿絵を描いたことで挿絵画家として人気を博します。その他にも舞台装置の考案、小唄の師匠など多彩な才能を見せた文化人でした。歿後の1959年、日本芸術院恩賜賞を受賞しています。

今作は「三番叟」を描いた作品です。おめでたい節目で上演される儀式的な演目でもありますが、もとは能楽の『翁』という演目です。神様が現れ、天下泰平、豊作、子孫繁栄といった祝福をもたらす内容です。能楽の翁が荘厳で儀式性の高いものであるのに対して、歌舞伎舞踊では三番叟の軽快な踊りが人気を得て、三番叟の役に重点が置かれた作品が多く作られました。

軽妙な筆致で描かれ色合いも良く洒脱な作品です。