朝井閑右衛門(あさい かんうえもん 1901-1983)

「バラ(法華手壷)」6号

 

略歴

1901年 大阪府で生まれる(本名は浅井實)

1919年 上京して本郷洋画研究所に学ぶ

1926年 二科展で初入選する

1934年 光風会展、帝展で入選

1936年 文展で「丘の上」が文部大臣賞を受賞

1937年 光風会会員となる

1941年 結婚する

1945年 上海に赴く(同地で終戦を迎える)

1947年 須田剋太、井出宣通らと新樹会を結成する

1950年 光風会を退会する

1962年 鳥海青児、海老原喜之助らとともに国際形象展同人となる

1966年 鎌倉に移り住む

1983年 逝去(享年82歳)

 

498 朝井勘右衛門 6号 バラ法華手壷 

第一線で活躍し、人気が高まっていながらも個展を開かず、美術館から依頼がきても「生前は回顧展はやらない」と断り続けた朝井閑右衛門。画集も一冊も作らず、生い立ちについても不明な点が多い、非常にミステリアスな画家です。

 

「王侯貴族の気分でいなければいい絵はかけない」と、毎日のように庭師や大工を呼び、アトリエや庭を整えました。人形、壷、木馬、メリーゴーランドなど気に入ったものを収集し、所狭しと並べて制作していたといいます。

 

モチーフにもこだわりがあり、ドン・キホーテ、不動明王、電線など好きなものを繰り返し描き、幻想的で不思議な絵画世界を創り上げましたが、なかでもとりわけ“バラ”を好みました。

「単にバラを描くのではなく、画面の上で新種のバラを咲かせている」

と語り、多くの作品を残しています。晩年はより厚塗りになり色彩も豊かさを増していきます。絶筆となった作品もバラでした。

 

今作も画面いっぱいに厚みのある奔放な筆致で描かれています。壷の文様やバラの明るい色彩も魅力的で、あふれるような生命力に満ちています。