鳥海青児(1902-1972)
「夕のベニス」

 

鳥海青児は1902年に神奈川県(現在の平塚市)に生まれました。15歳で油絵を始め、画友の所宏とともに岸田劉生を訪ねています。
関西大学経済学部在学中に所宏が第一回春陽会展に入選したことに刺激され、第二回春陽会展に「平塚風景」等を出品し、初入選しました。この時代に出会った岸田劉生、萬鐵五郎、梅原龍三郎といった強烈な個性は若い鳥海に大きな影響を与えたことでしょう。

 

この頃、三岸好太郎らと共に「麓人社」を結成します。三岸の故郷、北海道で展覧会を開くなど、切磋琢磨しながら交流を深めました。

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だんだんと草土社風の画風から抜け、後につながる重厚感のある独自の画を作りだし、1928、1929年と続けて春陽会賞を受賞します。

 

1930年、28歳で念願のパリ留学が実現します。
当時多くの日本人画家がパリを目指し、流行りの画風を身につけ帰ってくる様子は「フランス美術の出店」などと揶揄されてもいたようです。
しかし鳥海は違いました。
「フランス絵画の伝統をたたきこむ予定だったが、ルーブルをみてその必要性を感じなくなったしまった。スペインのプラド美術館のベラスケス、特にゴヤのモノクロームの怪奇的な作品に虜になってしまった。体質が受け入れられる名画こそ、作家の血肉になる作品である。ゴヤは私の生涯に決定的な影響を与えてくれた。」と語っているように、パリに留まらず、自身の体質に合うものを求めてヨーロッパ各地や北アフリカを旅し、重厚な実在感のある独自の画の道を突き進みました。

 

こちらは渡欧中の1933年頃に描いた作品だと思われます。
夜を秘めた空と運河の深い色に溶け込んでいくゴンドラ・・ベニスに流れる悠久のときにいつまでも浸っていたくなる魅惑的な作品です。

 

戦前から戦後にかけて日本の美術界はめまぐるしく変わり、流行り廃りを生みましたが、時代に流されずひたすらに我が道を邁進した鳥海は普遍的な力強さを持つ作品を数多く生みだし、日本洋画史に異彩を放つ存在となりました。味わい深い独自の世界は今も人々を魅了し続けています。